一点の曇りもないグラス、長いときを経てこころなしか丸みを帯びた銀のフォーク、ナイフ、スプーン、レリーフのある象牙色と純白の皿の群れ。1日の終わりに美しくおさまった食器棚の扉を静かに閉じるとき、平安が訪れます。
目を閉じて、この光景を想像してみてください。
イメージした食器や棚は、どのようなものでしたか?
もういちど目を閉じて、こんどはゆっくりディテールを想像してみてください。
私たちがなにかを見て、「ああ、いいなあ、きれいだなあ」と素直に感じるとき、そこに美しいものがあるというより、そこにあるものに美しさを見出しているのですね。人間の持つ素晴らしい能力のひとつです。つまり「見る」ことに、とても積極的な態度でのぞんでいる。なぜなら同じものが目の前にあっても、そこに美しさを見出せない人もいれば、不快と感じる人もいるかもしれないし、あるいは、存在そのものに気づかない人もいるのですから。
同じように、私たちは経験や素養にもとづいて、美しいシーンを想像することもできます。そのときに、疑いや迷いや不安を感じることはないでしょう。そういう時間を一瞬でも持てたならば、1日がそう悪くない日だったと思えたりするのですから、心理というものは不思議です。そしてそれが毎日の自分の生活のなかで起きたらどうでしょう。
ある朝、目覚めて最初に手に持ったグラスやコーヒーカップを見て「あ、いいなあ、」と感じることがあったなら――家中にあるものひとつひとつに対しても、「こういうことって大切かも?」と気づくのかもしれません。こういった気づきはいずれ、自分を取り巻くものごとや環境へと広がってゆくことでしょう。
それまで気にも留めなかった生活の場面に関心を寄せて、やがて好きな食器を集めたり、組み合わせを考えたり、リネンにアイロンをかけてみたり、仕舞いかたや手入れに気を使ったり――受動態から能動態へとスイッチが切り替わるように。
一生のうちに、いつ、なんのきっかけで、このスイッチの切り替えが起きるのでしょうか。それはものの見方や考え方が一変するほどに革命的なできごとです。
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