NN summer special 蛍の夏



dot山口さん 男性 1956(年生まれ) 埼玉県川口市 公務員
小学校2年のときに、田舎の親戚の家で、捕まえてきた蛍が蚊帳のなかで光りながら飛んでいたシーンは、忘れようにも忘れられない。自分の子供にも体験させてやりたいと思う。


dot山崎さん 女性 1968 高知県南国市 主婦
幼いころ、たくさんの蛍をつかまえて部屋にこっそり放して、幻想的な夜を楽しんでいました。


dot山田さん 女性 1973 東京都杉並区 会社員
小さいころ、川に蛍を捕りに行きました。捕れた蛍は、かごに入れて持ち帰り、寝る前にまっ暗にした寝室に窓を空けた状態で放しておきました。親が、“蛍はすぐに死んでしまうから、ずっと飼っていてはいけない”って言っていたんですよね。まっ暗な寝室を飛びまわってやがて窓から川に帰っていく蛍は、いま考えるとすごく贅沢なことだったなぁと、しみじみ思います。


dot山本さん 女性 1970 東京都千代田区 会社員
あれはいくつのときだったのか……おそらく、私のいちばん最初の蛍の記憶でしょう。広島の山奥、夏になると星が降ってきそうなくらい……“満天の星空”という表現がぴったりの田舎町に生まれた私の、いまでも忘れることのできない情景です。
田んぼからカエルの鳴き声が、鈴の音のように“り〜ん”とも、“からから”とも、文字では表現のできない音響で空気中に満ちていました。私は浴衣を着て、姉と手をつなぎ、外から家のなかへと駆けこみ、大声で父へ呼びかけます。“ほたる〜!”と、姉と声をあわせて。その声に父は笑いながら、うちわと竹の枝を束ねた箒(ほうき)をもって応えます。“捕まえたいんか?”。姉と顔を見あわせて、元気よく“うん!”と答えると、“『うん』じゃないじゃろ、『はい』じゃろ?”とたしなめながらも、父は私を肩車して、姉の手を引き外に出て行きます。 田んぼの畦道まで歩いていき、少し広い所まで来ると、大きく竹箒を降りまわし、“ほら!”っと私たちの目の前に枝の隙間いっぱいに蛍が入りこみ、ぽー、ぽーっと柔らかく光る竹箒をかざしてくれました。それでも、まだまわりじゅうに飛び交っている蛍と、かざされた箒から徐々に飛び出していく光、いま思い出してもとても幻想的でした。あの後、その箒についた蛍をどうしたのかは、記憶にはないのですが、そのとき、“ほー、ほー、ほ〜たる来い”と歌を教わったことをおぼえています。“あっちの水は苦いぞ。こっちの水は甘いぞ”……。
あんなにあふれるほどいた蛍。いまでは、あの町の水はすべて苦くなってしまったのでしょうか? 私が高校を出るころには、もう蛍は1匹2匹たまに見かける程度になってしまっていました。いまではもう、見ることもかなわないからこそ、美しく美化されてしまった記憶なのでしょうか? 東京で暮らしているからなのか? あの夏の日の蛍は、きっと一生忘れることはできないと思います。


dot山本さん 女性 1977 埼玉県川越市 学生
まだ山梨のとある村の村民だった小学生のころ、朝、集団登校していると、やけに大きい蚊とも昆虫ともつかない虫がいっぱい飛んでて、気持ち悪いなぁと思っていた。まっ黒なからだに赤い色が毒々しくて大きらいだったが、あれが蛍だと気づいたのは二十歳もすぎたころだったのでした。


dot吉岡さん 男性 1958 京都市北区 公務員
大学生のとき、友人と京都府美山町に行った。いろいろなことがあって、僕たちはずいぶん落ちこんでいた。美山町みたいな田舎を選んだのは、きれいな渓流のなかで、自分たちのことを考えたかったことが大きい。着いた日の夜、宿のおじさんの案内で蛍見物に行った。僕たちにはそう見えたのだが、田舎道から見る蛍はほんの少しで、あまりぱっとしないものだった。それからしばらくして、田んぼのまん中で車が止まった。そして、おじさんが黙ってヘッドライトが消したその瞬間、僕たちのまわりに光の洪水が現れた。無数の数え切れない蛍。そのときの気分は、どういっていいのかわからない。ただ、長いこと呼吸をするのを忘れていたような気がする。


dot脇田さん 男性 1949 名古屋市中区 自営業
昭和30年代、少年時代に暮らした元の中日球場近くの名古屋市中川区八幡町は遊郭街でした。夏に“ほたる祭り”が開催され、生きた蛍がもらえました。当時すでに、近郊で蛍は見られなかったのですが、はじめて見た、淡く光るその姿の不思議さに感動しました。祭りの由来が、“蛍”が遊女を意味するからということを知ったのは、十年以上も経ってからのことです。





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