午前9時半、山梨県南都留郡鳴沢村にある「道の駅なるさわ」にて、ツアーガイドの福田健史さんと合流。今回の「青木ヶ原樹海の某所ミステリーコース」参加者は、ぼくと千葉から来たご家族の計5名です。 まずは、道の駅の休憩室から雲に隠れた富士山方面を眺めつつ、自分たちの現在いるエリアが、北は浅間山、南はサイパンまで約3000kmに渡ってつづく火山帯の一部であることを教えてもらいます。 「私たちは子供のころ、富士山は休火山だと学びましたよね。しかし、7年ほど前から、小学校の教科書には、富士山は活火山と書かれているんですよ」という福田さんの言葉は、かなり衝撃的でした。まさか、ぼくの知らない間に、富士山が活火山になっていたとは……。 「富士山の噴火周期は、およそ300年と考えられています。最後の噴火は、江戸にまで火山灰が積もったという宝永4年(1707年)の宝永大噴火。いまはその300年後ですから、いつ噴火してもおかしくない時期なんです」。わざわざ活火山と書き換えられた教科書が、予言書のように思えてきました。 「それでは、富士山から流れてきた溶岩の跡を見てみましょう」。道の駅の駐車場には、フェンスに囲まれた穴がいくつかあります。これらの穴は、溶岩に襲われた樹木が焼失した後の空洞で、正式には「溶岩樹型」と呼ばれているそうです。 宝永大噴火の際には溶岩が流出することはなかったので、これらの「溶岩樹型」は、貞観8年(864年)の貞観大噴火によるもの。富士山麓の木々はすべて溶岩に飲みこまれましたが、それでも森が息絶えることはなく、長い年月をかけて溶岩上に新たな森がつくられました。それが、今回訪れる青木ヶ原樹海なのです。 |