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9. 陸上・長距離選手のための栄養学(その2)



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『箱根駅伝』初出場!
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こうして、私が1996年春から帝京大学陸上部のチームドクターを引きうけて、神戸製鋼の名ランナー、喜多監督とタッグを組んだ3年目の1998年に、帝京大学陸上部は『箱根駅伝』に念願の初出場をはたしました。

そのときの、私が忘れることができないエピソードを、ここで1つ紹介してみたいと思います。


ミニ栄養学講座・27
陸上の長距離選手の1日の
摂取カロリー

女子マラソン選手も、いまや1日5,000キロカロリー以上食べないとならない時代。でも、最近は食が細くて、練習後は疲れて食べられないという選手も……選手のみなさん! 食べることも大切な練習なんですよ!
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1998年、帝京大学陸上部がはじめて『箱根駅伝』に出場する前日の元日。各中継地点近くに集合した選手を最終チェックした私が、選手のコンディションをスタート地点で待機している喜多監督に報告し、宿舎に入ったのは深夜でした。すると、その玄関には、当初5区を走ることになっていた原田 将選手が立っていたのです。じつは、原田選手が突然の体調悪化で、みずから出場を辞退したのは大晦日のことでした。彼の代わりには、1年生の選手をエントリーすることになっていたのです。

原田選手は1年間、ほんとうにがんばった選手でした。心もからだも成長し、この日のためだけにひたすら練習にはげんできたのですが、みずからの判断で交代を決意し、彼はたった1人で人気のないロビーで私を待っていたのです。

“先生、すみません。タイムが伸びなくて。これまでのこと、感謝しています。ごめんなさい……”

私は原田選手の勇気をたたえ、チームメイトの全員が“明日、将は走りますか?”“将は大丈夫ですか?”と、彼のことを心配し、はげましの言葉を口にしていたことをつたえ、2人で男泣きに泣いた……こうして、原田選手の夢となったタスキは、このレースでしっかりとチームメイトに引きつがれたのです。

『箱根駅伝』で、選手たちが学んだことは、走り方や根性だけではなく、仲間を信じることの素晴らしさ、そして勇気だったことを、私はこのときに実感したのでした。
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