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諸星大二郎『太公望伝』
【引用図版・3】 『無面目・太公望伝』潮出版社89年刊・所収 316頁



“自然”というのを漢字で考えれば、おのずと・しからしむもので、元来は運命とか、物事の不可避な進行の意味だったんじゃないかと思う。
自分のからだの自然とは、それでいえば自律神経系ということになる。

たとえば呼吸は、ふつう自律神経で制御され、意識しなくともちゃんとやってくれる。
が、不思議なことに、意識して制御することも可能で、ゆっくり呼吸することが心身を緩める結果をうんだりする。

ここに心とからだの相関領域、薄明の混沌領域がある。
スポーツにしろ、太極拳やヨガ、あるいはカラオケですら、人が夢中でやってストレスを解放するようなものには、必ずこの領域への下降が含まれている。

からだとも意識ともつかない場所では、運命も偶然も外界も個人もごっちゃである。
それが錯覚であれなんであれ、どうもその場所には人間にとっての解放治療効果があるようだ。

諸星大二郎のマンガに不思議な慰安を感じるのは、おそらくそのあたりの薄明の領域につながる世界観を彼の絵がもっているからだ。

諸星の『太公望伝』のなかに、こんなセリフがある。
《自然の中にあるものは すべて人間の中にもあるのじゃ》[図3]
この作家の、心細いような線の集合で描かれる自然の山川草木は、たしかにそういわれるような妙なリアリティをもっている。




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