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第六回「風景の音」 森雅之『耳の散歩』について


去年6月、講演を頼まれて旭川にいった。 碁盤の目に切った道路は広く、ビルの隙間から遠く山々が見える。

街の風通しがよく、のびやかで、人間もせせこましい所がない気がした。

朝、ホテルからぽとぽと散歩していると、やたらと平らで広い交差点に出る。

建て込んだ東京から来た私は、何だか漠然とした印象を受けた。

そもそも、アジア的なゴミゴミした人間臭い街が嫌いでなく、裏の細い路地なんかにすぐ入りたがる観光客である私としては、いささか肩透かしの感じなのであった。

交差点を、それでもなるだけ細い裏道っぽい方へ折れてゆくと、急に坂があり、その向こうは川だった。広い河川敷に広場があり、対岸には林と山が当たり前のようにずずぅっと控えていた。

街中でも、川に出ても、とにかく空が広い。

富良野のほうへ遊びにいったときも、なだらかに延々と続く野原と山、その上にかかる空の広さに、ああ、これが北海道の風景なのかと思わされた。

北海道在住の森雅之の描く風景には、その広い空がある[図1]。



img 森雅之『伝言』
【引用図版・1】
『耳の散歩』朝日ソノラマ
98年刊・所収 163頁


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