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杉浦日向子『YASUJI東京』 小説新潮85〜86年連載 【引用図版・2】筑摩書房 88年刊 24〜25頁


空や雪の降り積んだ地面に、雪は描かれていない。一次的にいえば、そこは空白だ。が、人と、風景の、輪郭や陰の部分に、白絵の具で点々と施された雪の密度が、空白を埋め尽くして降る雪を類推させるのだ。

人間の脳は、視覚情報の欠落部分を、他の輪郭や模様から勝手に類推してしまうのである。上の段の見開き、断ち切りの大きなコマで、空白を大きくとったことが読者の脳に、世界を埋めるように降る大量の雪を連想させている。とくに、木の陰や人の髪など、スミベタの部分に打たれた白は、空白との比較で強く「雪」を意識させるのだ[図2]。

杉浦日向子『YASUJI東京』(ちくま文庫)の、絵師・小林清親と弟子・井上安治の出会いの場面である。

杉浦日向子は江戸をマンガに立体化することで、独自の境地を開いた作家だ。

江戸も、おもに文化文政時代、幕末から明治初期を舞台に多くの作品を残し、現在は休筆状態にある。『百日紅』(83〜88年)で葛飾北斎を描き、『百物語』(86〜93年)で江戸時代の怪異譚をマンガ化し、『風流江戸雀』(83〜87年)で古川柳を題にとった。

自身、時代考証家でもある彼女の描く江戸は、話し言葉から生活用具、発想にいたるまで、いわゆる時代劇ではない生きられた江戸を感じさせる。

が、そもそも杉浦にとって江戸は、地続きの先祖の生きた時代と土地であっただけでなく、自分の中で不思議なリアリティをもってしまう夢の世界でもあった。ただその夢は、今私達の生きるこの都市・東京もまた多く夢みたいなイメージだといえる、それと同じような意味で杉浦にとって夢なのだと思う。




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