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出典/坂田靖子『アジア変幻記2 塔にふる雪』 潮出版88年刊・48頁




坂田靖子のマンガが、英国の貴族風退廃への憧れだった頃には、私はそれほど熱心な読者ではなかった。彼女の絵がどんどん白く抜けてゆき、アジアの風景をさかんに描くようになる頃(多分80年代なかば)から、ときどき大量に買い込んで愛読するようになった。

彼女の描くすっとぼけた世界、いい加減で、超現実的で、理屈や脈絡の全然通らないすっぽ抜けたようなコメディの中にいると、ちょうどアジアの市場をヘラヘラしながら散歩しているような心地よさを味わうことができる。

ここに引用したのは坂田靖子『石の谷の姫君』の1場面だ[図]。ああ、なぁんて簡単な線で表現できちゃうんだろう。雨にけぶるアジアの風景。さぁさぁと霧のように降る雨は、スッと引かれた数十本の線分の群れで描かれ、アジアのどことも知れぬ国の船と人物が遠景でたたずんでいる。1頁の半分近い大コマに、背景もなく、ただこれだけの絵というのは、素人サンには手抜きにみえるかもしれない。

でも、これは描けそうで描けないんだよね。多少絵が描けると、空間をこれだけ大胆に空けるには勇気と自信がいる。何よりも、雨の線分たちの向こうに広がる白い空白は、ただの隙間ではない。そこには湿気の高い東南アジアの雨期の空気、かすんだように遠く、身のゆるむようにたるい南国の雰囲気がこめられている。

だから「こんなのでもいいんだぁ」と、ちょうど私がタイで思ったように勘違いして描いても、まずこんな絵は描けない。



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