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第52回
03年の新春スペシャル 〜 夢から現実へ
文/舘内 端


■初夢

2003年は、東京モーターショーが開かれる。その1か月ほど前には、ドイツでフランクフルト・モーターショーが開かれる。

この2つのモーターショーは、数あるショーの中で、もっとも大きなショーだといわれ、新型車やコンセプトカーが数多く発表される。2つの大きなモーターショーが開催される03年は、次世代車の行方を占うには、格好(かっこう)の年になるかもしれない。

自動車が、環境・エネルギー・資源と大きな課題を抱えていることは周知の事実だが、一方で、自動車の可能性については、あまり語られることがない。課題の大きさに打ちひしがれているのだろうか。

しかし、自動車に夢がなければ、課題の解決に熱意も生まれないし、また解決の方向も見えてこない。こうした時代には、むしろ自動車の夢を熱く語るべきではないのだろうか。

そうした自動車の21世紀の夢が、2つのモーターショーで語られるとうれしい。

では、私たちは、自動車にどんな夢が描けるだろうか。創造力をたくましく、心の奥底にしまわれている夢をつむぎだしてみよう。

■ピーターパン

ハリー・ポッター人気に続けとばかり、今度はアニメ映画の老舗であるディズニーから、ピーターパンが登場した。『ピーターパン II 』とあるように、第2作である。

ディズニーの第1作は、1950年代のことであった。お恥ずかしい話だが、当時、小学3年生だった私は、ピーターパンをファンタジーの主人公の名前とは知らず、“どんなパンなのだろう。早く食べたい”と思っていた。とんだ勘ちがいであった。

それほどに、ピーターパンの知名度は低かったわけだが、TVも普及しておらず、ラジオと新聞が頼りの時代だったので、子供の私は食べ物のパンと誤解するのが精一杯のピーターパン情報であった。

情報化の現在、ハリー・ポッターは、世界の多くの人に大人気となった。ピーターパンも、きっと人気になるだろう。いまでも、ファンタジーは世界の人々から愛されているようだ。

もちろん、日本にも素晴らしいファンタジーがある。宮崎 駿氏の『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』などのアニメだ。CGを駆使したジョージ・ルーカスの『スターウォーズ』もたいへんに楽しかった。

忘れてほしくないのは、宮沢 賢治の『銀河鉄道の夜』である。日本の児童文学の金字塔であり、そこに描かれる世界は、壮大な宗教宇宙だ。

『銀河鉄道の夜』では鉄道が、『スターウォーズ』では宇宙船やスターファイター(宇宙戦闘機)、空中レーサーなどが、『風の谷のナウシカ』は、主人公のナウシカが操るグライダーが、『ピーターパン』では空中を飛ぶ帆船が、もうひとりの主人公として登場する。

ファンタジーには、楽しい乗り物が欠かせない。そこで、作者は競って魅力的な乗り物を描く。

いや、そうではなくて、乗り物そのものがファンタジーなのである。

■21世紀のファンタジー

私たちが、だれでも描く21世紀の世界は、平和で、健康的なものだ。自動車は、きっと生活を快適で、楽しいものにしてくれるにちがいない。おそらく、自動車に描く最初のファンタジーは、自動車がそうした21世紀の世界に役に立つ存在であることだろう。

さて、先のファンタジーに現れる乗り物たちは、たとえば銀河鉄道では鉄道であるにもかかわらず銀河を飛行する。ピーターパンの帆船も空を飛ぶ。風の谷のナウシカのグライダーは、そもそも飛行機だ。スターウォーズの乗り物は、宇宙さえも飛行する。人は、いまだに空を飛びたいようだ。

残念ながら、自動車は(現在のところ)飛べない。しかし、空と海と陸で、乗り物比較をすると、もっともパーソナル・ユースが進んでいるのは陸である。もちろん、それは自動車の普及によるものだ。

一方、空はまだ個人に解放されているとはいえない。海も、陸上ほど自由に個人の船が行き来しているわけではない。

それで、飛行機や船の設計者が自動車に嫉妬したのか、個人的な飛行機や船を開発している。空ではライトプレーンが米国でとくに人気であり、海ではジェットスキーが新たな展開を見せている。

陸と、海と、空を自由に移動したい。ギリシャ神話を考えても、これは人間の古来からの願いであり、夢だったのだろう。ファンタジーがファンタジーとして成り立つには、自由に移動する夢が描かれている必要があるのだ。それは、21世紀になっても変わることはない。

■飛べない自動車

空も飛べず、海にも浮かばない自動車は、それではファンタジーとしての乗り物の資格がないのだろうか。

もし自動車に夢を感じられないとしたら、それは自動車がファンタジー性を失ったからであり、もし自動車に夢を描けるとすれば、それは自動車にファンタジーがあると思うからだろう。

では、自動車のファンタジーとは、なんだろうか。いうまでもなく、未知の世界に連れていってくれることだ。

未知の世界といっても、地理的な空間とはかぎらない。たとえば、運転免許を取ってはじめてのドライブを思い出そう。隣に検査官も指導員もいず、自分の判断で道を選べ、交通法規の範囲内だがスピードを調整できる。そして、それまでは人の運転で、あるいは鉄道でしか来たことのなかった所に行くことができる。これは、未知の体験であり、未知の世界の旅である。

自動車は、もう一度、自らがファンタジスタであることを思い出す必要がある。そのことを私たちに思い出させてくれる自動車に、03年は出会いたい。




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