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第49回
自然へのまなざし・その5
文/舘内 端


■ご飯ですよ。電気を消してね

個食の時代といわれて久しい。“電気を消して来なさいよ”と、母親にいわれて部屋の電気を消して、食卓につくようなそんな風景は、もうあまり見かけないのだろうか。

しかし、ほんの少し前までは、母親が子供たちを食卓に呼ぶときは、必ずといってよいほど、“ご飯ですよ”の次に“電気を…”といったものだった。

あたりまえのこととして電気を消していた時代もあった。戦後しばらくは、そうだった。電力事情が悪く、停電が多かったこともあったり、経済的な余裕の少ない時代だったので、電気代が家計に少なからず響いたこともあった。

しかし、“電気を消しなさいよ”といった母親は、子供のころに自分の母親から同じことをいわれたのである。それを、オウム返しというわけではないが、当然のこととして受け入れ、自分の子供たちにもしつけようとしただけではないだろうか。現代のように、省エネやら、CO2削減やらの要請が先にあって、それを頭で理解してからの話ではないような気がする。

それは、習慣といってもよいかもしれない。だが、習慣は身についてはじめて習慣になるわけだから、それには長い時間が必要であり、同じ習慣をもつ人たちが周囲にいる必要がある。習慣とは、習俗であり、伝統であり、文化なのである。

無駄な電気を消すという習慣は、おそらく、日本に電灯なる近代文明が入る前からあった、節約の文化から、引き継がれたものだろう。

では、アイドリングはどうだろうか。

■待機電力とアイドリング

電灯は、消せば暗くなるので消したことはすぐにわかるが、便利になった世の中で、さすがのお母さんも気づかなかったのが、電気製品の待機電力だった。

世の中のお母さんといわず、この私も気づかなかったのだが、そうはいってもすでにご存知のように、テレビ、オーディオ、パソコンなどの電気製品は、スイッチを入れてすぐに作動できるように待機中になっていて、そのために待機電力と呼ばれる電力が使われている。

日中、だれもいない家の中で、一人(?)テレビがスイッチを入れられるのを待って待機中というのは、なんとも無駄である。しかし、電灯のように外からでは見えにくいので、なかなか気づきにくい。

では、自動車のアイドリングはどうだろう。必要なアイドリングもあるが、無駄なアイドリングもあるのではないか。

この8月には、信号待ちのアイドリングをストップしようという全国キャラバンを、(財)省エネセンターの主催で行ったが、各地のフォーラムでスタッフから、なるほどと思わせる説明があった。

この場合のアイドルとは、アイドル・スターのアイドルではなく、怠惰、怠けるという意味だ。となると、アイドリングというのは、ただいま、怠け中ということになるとの説明だった。

さらに加えて、自動車のアイドリングは、いわば電気製品を待機させているようなものだという。そういわれてみると、なるほどである。

しかし、待機電力でけっこうな電気を使っていることさえ知らなかった私たちには、アイドリングが、“ただいまエンジンが怠け中”だということには、気づきにくかったとして仕方ないかもしれない。

■待機させたいものもある

では、なぜ、これまでアイドリングを平気で受け入れていたのだろうか。まず、考えられるのが暖気運転だ。アイドリングの典型的な例である。これは、エンジンはしばらくアイドリングして暖めないと正常に動かず、故障もしやすいということがあった。“あった”ということは、これは過去の話である。現在は、数10秒のアイドリングで十分だ。

しかし、寒い室内も、暑い室内も辛い。しばらくアイドリングして、室内を快適にして走り出したいのは、だれも同じ気持ちではないだろうか。

ドイツでは、寒い朝でも、数分のアイドリングしか認められていない。そこで、ドライバーはコートを着たり、少し厚着をして走り出す。

一方、夏の暑さの厳しい日本では、別の対策が必要になる。太陽光線を防ぐようなカバーをつけるなりして、あらかじめ室内が暑くならないような対策が必要だろう。

それでも、ドライバー個人が実行できる対策には限りがある。紫外線だけではなく赤外線のカット率が高いウインドウや、自動換気機能などの装備がほしい。断熱住宅ならぬ断熱自動車である。

■ほかにも心配が……

一方、信号待ちなど走り出してからのアイドリング・ストップには、また別の問題がある。

たとえば、坂道の信号でアイドリングをストップすると、ブレーキの効きが少し甘くなる。ブーレキペダルを踏む力を少し強めてほしい。これは、エンジンが空気を吸うときに生まれる力を利用してブレーキを補助している機能が失われるからだ。

また、再スタートするときには、セルモーターに大きな電流が流れるので、ナビゲーションがリ・スタートすることになり、改めてセットする必要があるかもしれない。

いちばん気になるのが、バッテリー上がりだろう。短時間に何度もセルモーターを回すと、バッテリーの充電が間に合わなくなって、電圧が低下し、セルモーターが回らなくなることもないわけではない。

私の6年余りのアイドリング・ストップ体験では、信号待ちでも1回の再スタートであれば、バッテリー上がりの問題ない。ただし、同じ信号で、何度も信号待ちをするようなときは、1回だけにしている。同様に、高速道路などで、渋滞した場合は、残念ながらアイドリングすることにしている。

エンジンを始動すれば充電がはじまる。走ればもっとたくさん充電できる。1回の再スタートに必要な電気は、次の信号まで走れば充電できると考えてよい。アイドリング・ストップしたら、走って充電しよう。

さらに、気になるのがセルモーターやバッテリーの寿命である。たとえば1年に2万キロ走るとする。1日、朝晩、その他で10回ほどエンジンを始動したとすると、セルモーターとバッテリーは始動のために1年で3650回使う。5年で10万キロとして、18,250回である。この程度の始動回数には耐えられるはずである。

■しかし、です

ということで、信号待ちのアイドリング・ストップを実行し、少しでもCO2を削減して地球の温暖化を遅らせるには、さまざまな工夫が必要だ。たいへんに面倒でもある。

カーメーカーから自動的にアイドリング・ストップするクルマが売り出される日も近いが、それまでは工夫を楽しむ気持ちと、やれるときにやるという気持ちのゆとりが必要だろう。しかし、この工夫と、スピリツトは人と自然とクルマが共生するうえで、そうした新型車が登場した後も、生きてくると思う。




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