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第45回
自然へのまなざし
文/舘内 端


■植樹デー

4月下旬、足尾に植樹にいった。作家の立松 和平さんとの対談の席上で、“足尾に緑を育てる会”の存在を知り、腰を上げたのだった。

朝から昼まで急峻な崖にへばりついての植樹で、“21世紀に生き延びるには強靭な肉体が必要だ!”と思った。というのも、その後の数日、足腰の筋肉痛に見舞われたからだ。

足尾町は、日光市から峠を越えてクルマで20分ほどのところである。あるいは中禅寺湖から10キロほど南に下ったところといってもよい。あたり一帯は、日光国立公園である。秋になると、全山が紅葉となる。

ところが、足尾町の周辺だけ、緑が完全に欠落しているのだ。とくに、松木沢と呼ばれる沢をさかのぼった両岸には、木はおろか草一本生えていない。銅の精錬時に発生した亜硫酸ガスがこの沢に流れこんだことと、大火に見舞われたことが原因だ。

そこに緑を蘇(よみがえ)らせようという運動が、国を中心にこれまで続けられてきた。たとえば、現在の国土交通省による緑の砂防ゾーンの整備や、林野庁の植林だ。さらに、ここに市民団体も加わった。それが、先に紹介した“足尾に緑を育てる会”である。

■カー・クラブも参加

当日の朝、参加費1,000円を持って受付に行くと、すでに、たくさんの市民が崖に張りついて植樹をはじめていた。昨年は600人で3,000本の苗木を植えたという。今年はもっと多いかもしれなかった。というのも、近くを流れる渡良瀬川沿いの道には、延々と植樹に来たクルマが駐車していたからだ。

栃木県ナンバーがもちろん多かったが、下流の群馬県のナンバーも、東京ナンバーのクルマもあり、広域から参加していることがうかがえた。聞くと、さまざまな地域から、さまざまな市民団体が参加しているという。

さらに、“カー・クラブもこの運動の最初から参加していますよ”という話を聞くにおよんで、初体験の私は消え入る思いだった。自動車関係者、しかもクルマ好きな人たちも、早くからこの運動に参加しているのであった。

植樹は、崖に苗木と土とを運ぶことからはじまる。いずれもけっこうな重さである。バケツ・リレー式に運ぶこともあって、そんな場合は、山岳会風の人たちの動きがやはり機敏で、見ていても安心感がある。慣れない私は、重い土のうをかついでフラフラ、苗木を抱えてフラフラと、やっとの思いであった。

■CO2を吸収する木のパワー

私の故郷は、良瀬川の下流の桐生市だ。高校生のころは、毎日曜日、足尾山系の山に登っていた。そんなこともあって、格段の思いがこの町にある。

また、松木沢の岩山を登ったときには、草木1本としてない荒涼とした景色と、急峻な崖に張りつくようにして、植林というよりも、当時は土と小さな苗を岩に張りつけるような作業を黙々と続ける人たちの姿を見てきた。その景色が頭から離れず、いつか機会があれば……と思っていたのだった。

一方、地球温暖化の問題を知るにおよんで、自分でもできることはないかと考え、その第一歩として日本EVクラブを設立し、EVを中心とした低公害車の普及促進をはじめていた。その活動を通して、気づいたことのひとつが植林であった。木は、地球温暖化の主たる原因物質であるCO2を吸収してくれるのだ。

このコラムで何度か触れたことがあるが、平均的な自動車オーナーが1年間に自動車から排出するCO2は、約5.5トンである。成木であると、25本ほどでこのCO2を吸収することができる。といっても、東京の私の住居には、25本もの成木が植わるほどの広い庭など望むべくもない。弱ったものだ。

ところで、CO2排出量を削減することは論を待たないとしても、これはいわば、“消極策”でもある。今後に排出されるCO2を削減するだけでは、すでにはじまっている地球温暖化の速度を少しばかりは緩(ゆる)められるとしても、地球温暖化そのものを防げるわけではない。

積極的な地球温暖化防止策は、すでに排出されてしまったCO2を吸収し、固定することである。いろいろなCO2吸収技術が研究されているとも聞く。自然がCO2を吸収する量もたいへんに多い。海や森林である。

地球創成期には、大量のCO2が大気に含まれていたという。現在の金星のような大気だったのだろうか。そのころの地球は、そのために大変に高温だった。そのCO2を吸収したのは、海であった。そうして大気中のCO2量が減り、ようやく生命が誕生し、存在しつづけられる環境となった。

そうして自然の力によって吸収されたCO2が地中深く埋蔵され、やがて石油や石炭や天然ガスに姿を変えたのであるとすると、産業革命以降、私たちはせっかく地中に埋まったそれらの化石燃料を掘り出し、燃やしたことで、生命が生まれる以前の地球にもどしていることになる。

■CO2を循環させる文明

海に、そのCO2を吸収できる力がまだ残っているとうれしいのだが、どうだろうか。

一方、木はCO2を吸収し、それを栄養として成長する。燃やしたり、腐らせたりすると、木は再びCO2に姿を変えてしまうので、CO2の一時固定源という言い方が正しい。

しかし、木を材料として家を建てたり、家具に使ったり、燃やして暖を取ったり、エネルギーとして使う文明は、CO2の排出量を増やすことはない。大気のCO2をいったん木の形にして利用し、再び大気にもどすという循環だからである。

ただし、この文明を維持するには、植林と伐採を丹念に繰り返す必要がある。

現在、世界の森林は減少しつつある。地球(自然)のCO2吸収能力は低下している。森林の減少をくい止めつつ、新しい森林を造る必要がある。

しかし、たった1日の植樹では、私にとって30本ほどの苗木を植えるのが精一杯であった。これで地球温暖化防止ができるとは、到底思えなかった。これは、私の自己満足に過ぎないのだろうか。帰途につくクルマから、足尾の山を振り返り、そんなことを思ったのだった。




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