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第43回
自然共生型モータースポーツとは?
文/舘内 端


■スポーツ=遊び

自然との共生型モータースポーツを考えるにあたって、モータースポーツもスポーツの1種類だとして、まずはスポーツそのものを改めて考えてみよう。

スポーツにはたいへんに多くの種類があり、その形態も楽しみも千差万別だが、スポーツを広く遊びととらえると、たとえばロジェ・カイヨワの『遊びと人間』が、スポーツを考えるうえで、たいへんに参考になる。

カイヨワは、遊びについて、その本質を、
 ・アゴン(競争)
 ・アレア(偶然)
 ・イリンクス(めまい)
 ・ミミクリ(模倣)  の4つに分類する。

■ブランコ遊びの創造

これを、みなさんが子供時代に一度は経験したことのある“ブランコ遊び”にあてはめてみると、まず思い当たるのが、揺れるブランコに感じるイリンクス(めまい)感覚だ。いつまでもブランコから降りなかったとしたら、イリンクスが楽しかったからではないだろうか。

ミミクリ(模倣)は、動物のまねをしたりして遊ぶことだが、飛行機で飛んでいる“つもり”でブランコをこいだり、小鳥の気持ちになって揺れているというのも、ミミクリにあたる。

ブランコ遊びにはアゴン(競争)の要素はないのだが、たとえば揺れるブランコから飛び降りて、飛んだ距離を競うとすれば、これはアゴンを意識的に加えたことになる。ブランコ遊びに新たな遊び=競争を創造したといってもよいだろう。

アレア(偶然)は、天候の激変などによって勝敗が分かれたり、あるいはサイコロを振ったときの目の出かたなどによる楽しさを遊ぶことだが、ブランコ遊びには偶然の要素は少ない。しかし、上記のブランコ飛びに偶然の要素が加わると、いっそう楽しい遊びになる。

競争の要素を加えたり、偶然性を加味したりすると、遊びは一層楽しいものになるが、ブランコのように遊具そのものに最初から、アゴンやアレアが存在するとは限らないから、これは人為的なものだ。つまり、遊びに遊具はつきものとしても、それをより一層楽しむには創造力が必要だということだ。

スポーツ=遊びは、創造力が大いに試されるというか、スポーツ=遊びとはそもそも創造行為なのである。また、どのようにしたら楽しくなるかという方法は、時代によって、地域によって変わる。つまり、スポーツ=遊びは社会的な、時代的な影響を受けるわけで、いいかたを変えれば、時代や社会を映す鏡でもある。

■遊びの少ない貧相なモータースポーツ?

カイヨワのいう遊びの4つの要素をモータースポーツに当てはめてみると、どうなるだろうか。かなりむずかしい設問だ。しかし、これを考えることで、自然共生型のモータースポーツも考えつくのではないだろうか。

モータースポーツには、アゴン(競争)があるというか、自動車を使ったアゴンをモータースポーツと呼ぶといってもよい。それほどに、モータースポーツには競争の要素が強い。

一方、アレア(偶然)やイリンクス(めまい)、ミミクリ(模倣)となると、ほとんど思いつかない。となると、モータースポーツには遊びの要素が競争しかないことになる。なんと、貧相なスポーツであることか?

■便利、快適、予定通りのスポーツ

いや、モータースポーツだって天候の激変というアレア(偶然)で、勝敗の行方がわからなくなるという楽しさがあるといわれるかもしれない。前々回では、そんなお話をした。その通りだが、一方、スポーツは天候など自然の現象で勝敗が左右されないようにと、たいへんに気を配るのが、むしろ一般的だ。

たとえば、ドーム型の球場である。これであれば、雨でも雪でも、たとえ台風でも野球がやれる。シリーズで150戦近い試合を消化しなければならない日本のプロ野球にとって、ドーム球場は救いの神である。予定通り試合が行えれば、振り替えのための費用もかからず、TV中継のキャンセルもなく、売上が安定する。また、観客にとっても、雨に濡れずに観戦できるので、たいへんにありがたい。

というわけで、米国ではじまったドーム型の球場は、あっというまに日本全国に広がった。モータースポーツも、ドーム型サーキットつまり室内で行えば、天候の変化にまどわされずドライバーやレースカーの本来の実力を知ることができる。また観客も暑さ、寒さをしのぐことができ、快適に観戦できる。

ところが、本家の米国で、やっぱり野球は青空の下、星空の下で見たいということになって、従来のオープン型球場にもどす動きがあるというからおもしろい。きっと、室内モータースポーツは、たとえはじまってもすぐに飽きられるだろう。つまり、カイヨワのいう遊び=楽しさの要素が少なくなるし、便利、快適、予定通りだから楽しいとは限らないのだ。

■自然共生型モータースポーツは楽しい

さて、ドライバーやレースカーの“本来”の実力を知ることができるといったが、たとえば前々回で触れたように、エンジンやタイヤは大変に天候(雨、気温、湿度、風など)の影響を受ける。そこで、こうした影響を除外した本来の実力が知りたくなるのだが、これはいわば自然の影響を除外するということであって、たいへんに非自然的な欲望だ。

この欲望が肥大すると、ドライバーというもっとも不確定な(自然)要素も除外して、コンピューターの中で戦うようなモータースポーツになるにちがいない。

本来の実力なり、もともとの実力なりは、実はコンピューターの中にあるわけではなく、自然現象も含めての話なのである。

モータースポーツに、イリンスク(めまい)やミミクリ(模倣)といった遊び=楽しさの要素も加えることができれば、もっと楽しくなると思うのだが、少なくとも自然と共にあるモータースポーツは楽しいことは確かなようだ。パリ・ダカール・ラリーなど、大自然の中で行われるモータースポーツはそのひとつの例だろう。

さらに、モータースポーツを行うことで自然をより豊かにするような、そんな形態のモータースポーツであれば、もっと楽しくなるにちがいない。




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