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第41回
“自然に寄り添う”ニュー・モータースポーツ
文/舘内 端


■天を読むスポーツ

レーシングカーは、現代の最先端の技術の粋を集めた自動車といわれる。エンジン、サスペンション、ブレーキ、タイヤ、車体と、どれを取っても、最高の技術で作られてる。

しかし、モータースポーツが、空調が利いた室内で、温度も、湿度も、気圧さえもいつも同一の条件下で行われるのであれば話は別だが、屋外のサーキットで、あるいはパリ・ダカール・ラリーのように砂漠で行われたりする。モータースポーツは、自然と共にあるスポーツといってよく、さすがの現代最高の技術をもってしても、自然とうまくつきあわなければ、勝利の女神は微笑まない。

1秒、場合によってはコンマ1秒を競うモータースポーツでは、天さえも味方につけるというか、天候の変化、つまり自然の変化に即座に対応することが求められる。だからといって、天候を人為的に変えてしまうようなマジックがあるわけもなく、言い方を変えれば、自然とうまく寄り添ったチームが勝利するともいえる。

■天気図を読む

私が登山をしていたころは、といっても30年以上も前のことだが、天気図が読めることは、クライマーの条件であった。

しかし、山の中で見られるTVなどあるわけがなく、ラジオ放送の天気概況を耳をすまして聞いて、小型ラジオのスピーカーから流れる気圧、気温、風速、風向を白地図にいちいち書きこむのである。つまり、天気図を読む前に、天気図を作成する必要があった。

だからといって、気象予報士のような知識を身につけたわけではないが、それでもスキーに行く日を決める目安程度ではあるが、少しはいまでも役立っている。

現代では、インターネットで日本はおろか世界の天気予報を知ることができるばかりか、逆に非常に狭い地域の予報も知ることができる。

たとえば、サーキットのある地域の天気が、予選時は雨でも決勝のときには晴れるという情報は、まさにチームの勝利の鍵を握ることになる。タイヤ、エンジン、ウイングの高さ、ブレーキ等、天候によってそのセッティングを変える必要があるからだ。

■向かい風は雨

偏西風が西から東に吹く地域では、天気も西から東に向かって変わる。関東のサーキットであれば、名古屋が雨ならば、翌日のサーキットは雨の確立が高い。

その程度のことでは、情報戦で優位には立てないが、決勝当日の風が向かい風であると、雨が近いといった細かな情報をもっていると強い。あるいは、西の山の稜線に霧がかかると雨が近いとか、その霧が流れるようであれば、やがて晴れるとかだ。

このような細かな、そして微妙な自然の変化を読み取って天気を知る技は、長年の経験によって培われる。漁師や、きこりの人たちは、こうして天気予報でも知ることのできない細かな情報をもつことで、安全に仕事をしてきたのだろう。サーキットのドライバーもエンジニアも、自然の変化を読み取る技に長けていなければならない。

■天気で圧縮比を変える

エンジンは、空気を吸いこみ、ピストンで圧縮して、燃料と混ぜ、点火して燃焼させる。どの程度、空気を圧縮するか、これを圧縮比というが、その値はエンジンの出力、燃費、レスポンスなどに大きく影響する。

現代の進歩したガソリン・エンジンの圧縮比は、9〜10程度である。ところが、エンジンの設計で決まる圧縮比も、実際には一定ではなく、その日の天気やサーキットの標高で変わってしまう。

晴天は、高気圧であることが多い。気圧が高ければ、同じ10対1の圧縮比といっても、実際の圧縮比はわずかながら高くなる。雨の日は、逆に低くなる。

また、標高が高いと気圧は低い。標高の高い山地のサーキットでのレースでは、ピストンを変えたりして、あらかじめ圧縮比を高めておく必要がある。

雨の日と、晴れた日で、なんだかエンジンの調子が変わると、そんな繊細な感覚をおもちであれば、レーシング・ドライバーとしての大事な条件のひとつを満たしている。エンジンは、まるで生き物のように、天気や季節によって表情を変えるのだ。

たとえば、湿度である。雨の日は湿度が高いが、これは空気に含まれる水分=水蒸気が多いということであり、それが多ければ同じ体積中の酸素の分量は少なくなる。

たとえば、1リッターの空気中の酸素はその1/5の約200mlであるが、その量が湿度によって変わるということだ。ということは、同じ1リッターの空気を吸いこんでも、燃料と燃える酸素の量は湿度によって変わるわけで、湿度が高ければ酸素が少なく、出力、トルク、レスポンスが低下してしまう。

■晴れたからウイングを1段上げよう

現代のレーシングカーは、空気の力(ダウンフォース)によって車体を路面に押し付け、タイヤの性能を高めている。主にその力を発生するのが、ウイングである。その角度を調整することで、ダウンフォースが変わるばかりか、空気抵抗も変わってくる。1ミリ、2ミリのウイングの高さの調整が、レースの勝敗の鍵を握ることがある。

レース前日の夕方、西の空を見ると、山際が鮮やかな群青(ぐんじょう)色に輝いていたとしよう。長年の経験によると、こうした場合、明日は晴れである。気圧計の針も少しずつ高くなっていたとする。

翌日、ピットに現れた監督は、メカニックにウイングを一段、上げるように指示したのだったと、まるでレース映画の1シーンのようだが、晴れれば気圧は高く、湿度は低くなる。エンジンはご機嫌なはずである。ウイングを高めて空気抵抗が増しても、エンジンのパワーで押し切れる。一方、ウイングを上げた分、ダウンフォースが大きくなり、タイヤの性能も高まるので、カーブでは速くなる……。監督の自然を読む力で、レースに勝利したのだった。

自然のわずかな変化も見逃さず、適切に対処できること。これは自然に寄り添うようにして生きる技であるが、そうした繊細な感覚をもつことは、モータースポーツでもまた大切である。




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