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第7回
クルマを、EVを、走らせるということ
文/舘内 端



手作りEVが完成し、ナンバーが取得できたら、町にも出たいしドライブもしたいということで、今回はEVドライブのお話である。旅行するには旅行計画書を、山に登るには登山計画書を作成する。あまり人の行かない場所への旅行や、険しい山に登るときには、計画をしっかり立てる必要がある。

ドライブにもドライブ計画を立てたほうが、安全かつ快適なドライブができる。しかし、自動車の信頼性が向上し、高速道路、ガソリンスタンド、カー・ディーラー、道路サービスなどのインフラが整った現在では、走る道を確認する程度の計画で済んでしまう。その上、カー・ナビゲーションや携帯電話の普及で、ますますドライブは簡単になっている。ところが、いざEVでドライブとなると、さまざまな障壁が待ち受けている。EVドライブは、たとえ文明国(?)であろうと、たいした冒険なのだ。

この冒険にチャレンジしてみると、自動車がいかに多くの人たちとインフラによって支えられているかを知ることができる。日頃、感謝したこともない自動車や、その運行を支える人たちや、整った道路環境、そして石油に代表されるエネルギーを大切にしようと思うようになる。

そうした意味でいえば、EVドライブは“自動車遍路”といえるかもしれない。そして、遍路の果てに、人とクルマと自然の共生の道が開かれれば幸いである。

1. モンゴルへ行こう

手作りEVでモンゴルを走る。こんなEVドライブはどうだろうか。

シーンと静まり返ったモンゴルの草原と砂漠を、音もなく排ガスも出さずに走る。沈む夕日に感激し、夜になれば満天の星空を仰ぎ、漆黒の闇を切り開く日の出とともにまた走り出すのだ。考えただけでも、ぞくぞくするではないか。

しかし、朝日に向かって走り出そうにも、バッテリーに電気がなかったらどうしよう。充電スタンドはおろか人家がないのだから、コンセントもあるわけがない。どうやら電気は自分で発電するしかないようだ。

さらに、故障してもカー・ディーラーが草原や砂漠にあるわけもなく、自分で修理しなければならない。EVの信頼性を高めると同時に、修理技術をしっかり身につけ、補修パーツも用意しなければならない。

だが、楽しみもある。自分で発電したらバッテリーにたっぷりその電気を貯蔵できるのだから、電子レンジも電気湯沸かし器も使えて料理もできる。

夜になったら、バッテリーの電気を使って、満天の星空にサーチライトをあげよう。50台もEVが揃って、いっせいにサーチライトを点灯したら、きっと美しいだろう。そんな光景をインターネットで世界に中継することも可能だ。

サウンド機材さえ持ち込めれば、草原の真ん中でコンサートも開ける。50台のEVのバッテリーから電気を引いて、プレイヤーをスポットライトで照らし、スピーカーを鳴らそう。いや、いや、モンゴルの独自の音楽であるホーミーを、静かに聴くのもよいだろう。モンゴルに行くには、どうやらさまざまな障害があるらしいことがわかった。それを克服しなければ、楽しみは味わえない。

2. 日本EV冒険ドライブ

モンゴルに行く前に、国内をEVでドライブして実績を積んでおくのが順当だが、すでに手作りEVで日本列島縦断冒険の旅を敢行した人がいるので紹介しよう。

雑誌の編集者である田口 雅典さんは、日本のEV冒険ドライブの第一人者といってよい。というのは、すでに電気スクーターで日本橋〜スズカ・サーキットを走っているのだ。

それに懲りたのではなく、それで味をしめて、今度は手作りのスポーツカー、それもクルマ・マニア垂涎のスーパー・セブンをEVに改造して、九州本島の南端の佐多岬から、北海道北端の宗谷岬まで、3500キロのEV冒険ドライブを敢行したのだった。

ヤマテES600と呼ばれる電気スクーターで、スズカまでの旅に出たのは93年の秋のことだった。スズカに到着するとF1の予選が始まるといった泣かせるスケジュールだったのだが、その前年の92年には私が徒歩で日本橋からスズカまで歩いていたので、“今度は電気だ!”と勇んで出発したというわけだった。そして……。

当時のES600は、1充電で走れる距離が30〜40キロであった。日本橋を出発して1時間も走ると、もう充電タイムだ。近くのガソリンスタンドに頼んでと、そんなことを繰り返しながらの旅だった。箱根ではお土産屋さんで、静岡では床屋さんで髪を刈ってもらっている間に、そして峠の食堂では自販機のコンセントから黙って……と、ひたすら乞電、盗電(?)を繰り返し、2週間かかってスズカに到着した田口さんは、すでに人格が変わっていた。いや、いや。とても良い人になっていた。

EVスーパー・セブンの旅は、97年6月のことだった。佐多岬で新聞社のカメラのフラッシュを浴びて出発した田口さんは、他人様のコンセントを借りての充電のベテランだった。どうにかなるさと、のんびりと旅を続けたのだった。ある時はEVクラブの会員の家で、ある時は親戚の家で、北海道では招かれた小学校のコンセントを借りて充電しつつ、1日80〜100キロを走り、約40日かかって宗谷岬に到達した。

“人の親切を乞う勇気とEVへのやさしさをもち、なるがままの走りを心がければ誰でもEVドライブはできます”。これが田口さんの到達した境地だった。なるほど、である。

3. 十津川を遡行する

十津川は、奈良県の吉野熊野国立公園と和歌山県の高野龍神国定公園に挟まれた、山深い谷間を流れる川である。たくさんの林道も残されている。ここを自然を壊さずに走るには、排ガスを出さないEVが適している。

ところが、山深く入り込むと人家もない。もちろん充電スタンドもガソリンスタンドもない。ここを走るには、自ら発電しなければならない。だからといってエンジン式の発電機は使いたくない。となれば……。

4. 屋久島の海岸で暮らす

そんなことが許されるかどうかはわからないが、あの美しい海岸で手作りEVとともに、数日といわず1か月ほど暮らしてみたいと、屋久島を訪れるたびに思う。

もちろん、海岸は汚したくないし、排ガスも出したくない。となると……。

5. 発電しよう

日本EVクラブの会員で、自宅の屋根にソーラーパネルを張り、それで発電した電気で、手作りEVを充電している人がいる。1日の太陽光発電で30キロは走れるという。日本EVクラブつくばの大学生は、小型の風車で発電し、手作りのEVを走らせようと、カート・サーキットのガレージの屋根にアメリカから輸入した小型の風車を取り付けて研究している。

ある国立公園の山荘では、手作りの水車で発電し、山荘の電気をまかなっているという。アメリカでは、ソーラー、風車、水車を組み合わせて発電し、別荘ライフを楽しむ人たちがいる。また、そうした手作り発電の雑誌も発行されている。

ソーラーパネルと風車と水車を上手に組み合わせて発電し、田口さんのいうようにお日様まかせ、風まかせ、川まかせの自然とともにある走りを心がければ、たとえモンゴルの草原であろうと砂漠であろうと、EVであればきっと走れる。

クルマが、自分のエネルギーを自分で調達でき、それがクリーンで、再生可能であれば、クルマの可能性はもっともっと広がるに違いない。次回からは、クルマのエネルギー自立の可能性を探ってみる予定だ。



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EVでの冒険ドライブ
雑誌編集者・田口さんの場合


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東京からフェリーにEVスーパー・セブンを積んで、いざ出発。ご覧のとおり、牽引車付き。荷物やバッテリーが納められたそう。
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“電気を拝借”の図。これはクルマ用品店で、快諾を得て。200V電源のほうが充電時間も短縮できるので、おもに商店や工場を“ねらった”とか。
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こちらもご協力いただいた修理工場で、記念撮影。
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雑誌で呼びかけたこともあり、道中“スーパー・セブン”野郎が出迎えてくれることもしばしばだったそう。新潟県・親不知付近の海岸沿いで。
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で、スーパー・セブンくらべした写真がこれ。田口さんによれば、EVのほうがより重心が低くなり、ドライバビリティーは一層アップしているのだそう。
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新潟では、EVクラブのメンバーたちと交流。ちなみに、これらのクルマは全部手作りEV。
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宗谷岬で、ゴール!! のシーン。左のスクーターが、本文中にもある電気スクーター。なんと取材要員が、全行程を併走したのだというから驚き。まさに冒険の旅! お疲れさまでした。



●写真提供:『Tipo』編集部/ネコ・パブリッシング