A Rosarian's Diary
10月24日(日)晴天

photo昨年の冬に大苗で植えたセントセシリア(イングリッシュローズ)、春に新苗から育てた粉粧楼(オールドローズ)、そして、もう何年もいっしょにいる名無しのミニチュアローズに、ポコポコと花が咲いている。いや、バラの場合は、花が咲く、というより、花がひらく、というほうがふさわしい。重なりあって蕾になっていた花びらが、あるとき1枚ずつ離れ、ふんわり、ほころぶようにひらいて花になる。photoとりわけ、粉粧楼の“ふんわり”度には驚いた。色も、うす桃だったり白だったり、周囲が白で中だけうす桃だったり、この世にこれ以上愛らしいものはあるだろうか、と本気で思う。

でも、パフスリーブとか、綿あめとか、ペチコート入りのふくらんだスカートとかのふわふわしたたぐいに、女の子(年を恐れず言わせてもらいます)が無条件に反応してしまうのはどうしてだろう? photo“女の子は何でできている?”というフレーズではじまるマザーグースの歌があって、それによると、女の子は、たしか砂糖菓子とかリボンとかスイートなものたくさんと、スパイシーなもの(毒だったかな?)少しでできていた。嗜好的には“女の子”の王道を歩んでいた子供の私は、その歌がけっこう好きだったのだけど、オールドローズもきっと“女の子の成分”のひとつにはちがいない。

この1年とちょっと、バラを含むたくさんの植物を真剣に育てるようになってからは、ほんとうに切り花を買わなくなった。photo切り花と自分で育てる花のいちばんのちがいは、よく見ることだ。切り花は風景にするために買うから、それ自身を見つめることはあまりしない。いのちも短い。鉢で育てる花の豊かさを知ってしまえば、やっぱり手が出なくなる……。

鉢花の豊かさというのは、つまり土の豊かさだ。いろいろあったけれど、足元の土の下の世界を思えるようになったことが、花を育てたことのいちばんの収穫だったかもしれないなと思う。土が植物を育て、植物はまた土に還る。あたりまえのことだけど、知識にすぎなかったたくさんのことが、実感として私のなかに入った。これは、かなりのごちそうだった。そしてどこにいても、花だけでなく、葉や枝や幹や根元にも目がいくようになったこと。photoこれは、散歩をより楽しくしてくれた。

最後に、こんなフガイないママのもとでも、元気にきれいな花を咲かせてくれたバラと、ほかの植物たちにお礼を。今後も、ギブ・アンド・テイク(私はあなたたちに水と肥料と敵退治を、あなたたちは私にしあわせを)、よろしく。



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