A Rosarian's Diary
9月11日(土) びっくりするほどの晴れ

昨日の昼過ぎ、家にもどる。タクシーを降りて目に入ったアパートは、どこか以前とちがう印象。何かが欠けている。そのときはよくわからず、どんよりいやな予感もして、部屋にいそぐ。ドアを開けたとたん、寝室のカーテンのすきまから茶色いものが目に入る。

茶色? ふり捨てるように靴を脱いでベランダに出ると、木床は枯れて落ちた葉でいっぱい。多くの植物が枯れかかっている。愕然。愕然。ガクゼン。涙が出た。ごめんね。ごめんね。ごめんね。時差ボケがふっとび、いっきに目が覚め、気が狂ったように水をやる。ほとんどの鉢の表面は乾ききっていた。隣の部屋から、“お隣、やっと帰ってきたみたい”というささやき声。惨事をベランダ越しに見て、心配していたのかもしれない。あんなに大事にしていたのにねえ……。ひととおり水をやり、気を落ち着かせてよく見ると、みんな、葉が枯れているだけで死んでいるわけではない。新しい芽が出ているものもある。とりあえず着替え、床に落ちた枯れ葉をきれいに掃除してから、ひと鉢ずつの検分をはじめる。

完全に死なせてしまったのは、バジルとミントのみ。ドライウォーターの量がたりなかったらしい。反対に、主人の不在など“われ関せず”といったふうに元気なのは、ローリエとオリーブ、ほんの少し枯れただけでほぼ大丈夫なのがアイビー、グミ、粉粧楼、セントセシリア、ミニローズ、ブルーベリー、モモ、ローズマリー、ネギなど。つるバラ、ノイバラはかなりの葉が枯れて落ちていたが、大丈夫。アジサイ、スグリ、ネムノキは、ほぼ全部の葉が枯れていたが、株自体は元気な様子……。そこまで確認して胸をなでおろし、ぺたんとすわりこむ。彼らの生命力のすごさはもう知っている。根っこさえ丈夫なら、いくらでも再生するんだから。そう自分にいいきかせながらも、やはり申し訳ないことをした。みんなに謝りながら、枯れ葉を摘み、傷んだ枝を切り、最後にまた、とっぷりと水をやる。

ドライウォーターの効果はなかったとはいえないが、友だちの場合ほど完全ではなかったのはなぜだろう? 土の種類か、量的なものか。どちらにしても、これほどの植物を育てながら、この季節に長期の留守をするなんて、やはり無責任だったと反省している。

家にもどったときに感じた違和感の、その出どころがわかった。前の家の庭にあった木がなくなっていたのだ。大きな木が1本、ばっさりとない。もっさりとあって大好きだった緑がなくなって、どこかすうすうとしてしまった。その景色が目に入ると、今はまだ哀しくなる。きっといつか慣れてしまうんだろうけど。

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葉はかなり枯れて落ちた。でも、何とかみんな元気。

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ほら。こんな芽のでてる子だっているし。







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前の家の庭。まんなかの大きな木が切られて、かわりに車が置かれている。



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