 
■8月10〜17日 難所NY州をへてゴールイン
NY州は東西南北に広がり、多種多様な地形と風景の変化に富んでいます。マンハッタンのみならず地方の異なる文化や行事も多彩で、国内外の観光客に親しまれていることは有名です。
35年以上もNYに住むと、広い州とはいえども、ほとんどの地域を訪れているので地理的条件は心得ています。ただし、車からの視点です。出発前の予定作りでも、キャスケイドやグレーシアのロッキー山脈に等しく、東部のアパラチア山脈は難所とにらんでいた。自転車のツアーグループも、この山脈を避けて通るのがほとんどでしょう。
東京や大阪で、ホームページを通じて旅行の情報を制作しつづけてくれた友人や、それを見て応援しつづけてくれた多くの方々も、NY州に入ったとともに安心して、連絡が少なくなってきました。ところが当の本人は、“ここでふんどしを締めなおす”心がまえで初心に帰った。
バッファローからフィンガーレイクのあたりまでは、予想通り起伏の少ない農業地帯が続いていた。トウモロコシからブドウ栽培に移り変わってきたのが目立つ、時の流れ、経済の変化がここにも現れてきたようです。宿の情報が的確につかめなく苦労が続くことも、予想通り。
予期していなかったのが大雨。かつて経験したことのないほど強い雨に打たれた。数メートル先しか見えないうえ、車が通るたびにはね飛ばす水の量は、体を押し飛ばす威力さえある。稲妻や落雷が続き、身の隠し場もなく“こんなところで事故を起こすと、どうしようもない”と危険を感じる。雨具を着用しても、脊髄まで水が浸透してくる。自転車のバッグも中まで水を含んでしまったが、重たさは感じない。
3時間後に雨が上がったころは、すでに日暮れに近く、モテルの受付に着いていた。モテルの部屋に自転車を持ちこみ、所持品一切をバッグから出して、ところ狭しと部屋中に広げ、バスルームでは洗濯娘に早変わり。洗濯が終わると、どの部屋も冷房のスイッチが入っているが、こちらは暖房のスイッチを最大に上げ、いち早く夕食を求めて外へ出た。ご帰還時にはビールでご機嫌、濡れたものはご乾燥……。
ビンガムトンから先は、山越えの4日が待っている。氷河期に押しつけられた地肌が、大きな皴(しわ)となって幾重にも長く南北に伸びた地形。ハイウェイが通れるなら45分で行き着く地点も山越えを強いられること6時間、何度も自転車を押して歩いた。マウンテンバイクのためにあるようなぬかるみも、重い荷を積んでどろ鼠のように格闘しつつ前進する。
モンタナやノースダコダでの逆風できたえられていなかったら、とっくに落伍していただろう。カヌーを楽しむ美しいデラウェアリバーを横目で眺めつつ、山道を10時間以上も上下した。あげくの果ては宿がなく、墓地で寝るには明るすぎるので、2時間こいで日暮れに野宿の場を見つけた。テントを張り、川の水で身を清めた。夕日が川を赤く染め、夏だというのに冷たく、ほてった肌に心地いい。しかし、空腹感はごまかせなかった。レストランどころか、人家も見あたらない山道だった。出発地点のシアトルから所持していたイワシの小さい缶詰と豆の缶詰しか食料がない。3か月近く持ちつづけた非常食に、ゴール前のNYで世話になるとは“オチ”にならないが、格別美味しく味わった。
夜中に目が覚めてテントから抜け出したところ、頭上の大木の枝葉が切り紙の絵のように黒くシルエットで、その向こうには無数の星がまたたいていた。星はまた、川底にまでキラキラと光をまぶしている。こんな美しい世界を独り占めするのはもったいないと見とれつつ、そっと自分の記憶に写すためシャッターのボタンを押しました。明日また立ち向かう山越えのことも忘れて。
アパラチアの山越えが終わると、鼠の迷路の実験が待っている。ニュージャージー州の郊外をどう抜けてNYに近づくか。高速沿いにしかないモテルをどうして見つけ、たどり着くか。障害物競争ではないが、車の洪水のなかや工事中の道路をどうくぐり抜けるか。一夜にして、自然の厳しさから人工の難所へと、対象が急変した。
NY市に架かるジョージ・ワシントン・ブリッジの上からマンハッタンが見えたときは、感無量だった。
ハーレムを抜けセントラルパークに入る道筋は、正確に頭に刻まれている。6時着予定より少し早めに着く。報道陣や、友人たちが退社後、駆けつけて来てくれた。
3か月の長旅がシャンペンの乾杯とともに、摩天楼の夕焼け空に消え去って、皆との笑談だけがパークの芝の上で踊っているようでした。
まだ旅は終わっていない。最終目的地のサウスハンプトン大学までは、あと2日ある。
大学到着予定の正午にはまだ、時間の余裕があった。早く海が、大西洋が見たい。飛びこみたい。高鳴る気持ちを抑え切れず、ハンドルを海岸線に向けていた。人影の少ない砂浜に自転車を倒し、手早く大海に飛びこんで、夢中に水と戯れた。待ちに待ったこの瞬間だ……。
10分以上遅刻したようだが、校門ではブラスバンドが待っていた。夏休みだというのに、学長はじめ教授連、事務職員、学生の多数が出迎えてくれた。シャンペンを頭からかけられての歓迎を受けた。

“皆さん、アリガトウ!”
“無事完走できたのも皆さんのおかげです。アリガトウございました”と、日本へも届いてほしいと願いつつ、大きな声で叫びました。深々と頭を下げました。
もう一度、“ありがとう〜”と言わせてください。 (完)
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