 
■8月3日ごろ 旅人の旅人案内
昨日のナイアガラの滝見学は快晴に恵まれた。飛行機を足踏みさせるほどの大雨が止んで、樹木の枝葉のほこりもきれいに洗い流されている。赤や黄色、むらさき色などの花々が日の光をたっぷり受け、あざやかな色を放っていた。広い滝の河口の水も、空の青さを深々と吸いこんで、水しぶきとのコントラストをさらに強めている。こんな日はシャッターの音も軽い。沖縄から長時間空の旅を続けてきた太田さん親子も、この壮大な景観を五体全身に感じ、大地のエネルギーをわが身に転じたのか疲れを見せない。
今日は、バッファローの郊外をドライブすることで話がまとまった。奏(カナ)ちゃんは、昨日のナビーゲーター役ですっかり自信をつけてくれたのでありがたい。はじめてのアメリカで、しかも第1日目の朝、まだアメリカの地に立っている実感すらないであろう奏ちゃんに酷な注文とは思ったが、ハイウェイに差しかかるまでナビゲーターを押しつけた。出発地点と目的地を告げると地図をひろげ、道路標識と地図の地名を英語で結び、てきぱき指図をしてくれる。慣れないと大人にもむずかしい、アメリカン・ハイウェーでのナビゲーター役を中学2年生の彼女が難なく果たしてくれた。親の身に寄り添う旅の綱が1本プッツリ切れたように。頼もしい中学2年生だ。それにくらべて我が輩は、ハイウェイではともかく、一般道路に入ると2か月半の自転車感覚が身に着き、車のスピードに慣れずオタオタしていることに、はたと気づく。
The Burgwardt Bicycle Museum。この美術館は興味のない人にとっては退屈かもしれないので、前もってことわり、おつきあい願った。オーチャードまでは思ったより遠く感じた。可愛い田舎町だが、美術館の所在地にしては町が小さいので、引率者として不安が先行しだした。小ぎれいなレストランで昼食をすませ、ウエイトレスに美術館への道をたずねた。“そんな美術館があるんですか”と、存在すら知らぬ返事にますます不安がつのる。
なるほど美術館の外観は、地味で倉庫のような建物、知る人ぞ知るといった美術館である。ところが館内に入って驚いた。自転車100年以上の歴史が、所せましと詰まっているではないか。ペダルがなく、足で蹴る木製の乗り物にはじまり、荷車のような木製の車輪、前車輪の大きな初期の自転車、戦闘用、パラシュート用、もちろん郵便配達用、2人乗りでは前後に並んで乗るものや横に並んで乗るもの、10名乗りと300種以上ある。
すべてがアメリカ製と銘打っているのも、この美術館をユニークなものとしている。さらに自転車の付属品、飾り、トレードマーク、衣装、そのほか自転車のデザインの入った日常雑貨や玩具ゲーム、書籍の類にいたるまで収集している。説明は展示品の前のボタンを押すとテープが流れる仕組み。Burgwardt夫婦が30年の年月をかけて猛烈に収集したもので、現在でも美術館の一切の仕事を夫婦で行っている。個人の熱意で生まれ、継続している完全な個人的美術館です。自転車には縁の遠い2人も、すっかり喜んでくれた。
アーミッシュの村はすでに日本でも親しまれている。ペンシルバニアが有名だが、むしろこうした地方が観光化されていなくて、日常生活に触れることができるので南西に車を走らせた。機械文明を拒否しつづけている彼らは、ハイテク産業社会のアメリカではユニークな存在だ。
なだらかな丘をいくつか越えているうちに、黒塗りの馬車が見え出した。小さな村の入り口で突然渋滞となった。車の少ない田舎で事故でもあったのだろうか。やがて、ゆっくり動いている列の先端にパトカーが数台見えた。銃をかまえた特別機動隊の姿も見え、物々しい様相だ。車1台1台を止め、警官が車内を見回し運転手と会話をしている。凶悪犯が刑務所を逃亡したことを、我々の車の窓越しに、写真を見せながら伝えてくれた。ある車はトランクまで開けて検査している。検問は1か所ではなかった。村の四つ角と出口でも、同じ質問を繰り返された。このような物々しい機動隊の検問は、この国に30数年住んでいてはじめての出会い、映画『目撃者』を思い浮かべるシーンだった。
農家の庭先で果物や野菜を並べているベジタブルスタンドに斜陽が差し、写真にいい……庭先のクジャクが目に入ったので車を止めた。我先にとカメラを手にして、3名が車から飛び出した。クジャクだけではない、牛、馬、豚、羊、山羊、鶏の家畜に混じって、ロバ、トナカイ、ラマ、犬、猫、針鼠、兎にアフリカ産の亀と、隠し絵をひもとくように、動物が出てくる。庭や緑の下だけではない。家の中からも次々に出てくる動物の数は、家族も数えきれないほどらしい。生まれて2日目の子猫もかわいかったし、数匹のプレーリードッグが草をむさぼり食う姿には、レスラーのような野良仕事の大男ですら微笑みながら見とれていた。
ここの旦那も奥さんも、地球上でいちばん幸せ者だと思っているように見受けられた。近所の小学校の子供たちにもオープンして、早いうちにいろいろな動物に触れさせたいと、自分の喜びだけに止めていない。個人動物園の園長さん、どこかの国ならテレビの取材が殺到して、近所の子供どころか動物の面倒すら見られなくなるだろう。
自転車の収集家にしても、動物愛好家にしても、個人の自由と、それを侵さぬよう静かに見守るアメリカ社会の心の豊かさを感じた。半面、逃亡者に対しては、機動隊のしらみつぶし……。
はるばる沖縄からやってきた2人の旅人に、アメリカの一面を見せることができた1日だった。
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