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■6月27日 視点を変えて見る地上

4月下旬、今回の大陸横断用の自転車を受け取るために、ニューヨークから大阪へ飛びました。カナダの西海岸上空を通過するころになると、やはり地上の雪の状態が気になります。1か月もしないうちに通るキャスケードやグレイシャー、ロッキー山脈は、北路線を飛ぶ飛行機からは見えないでしょう。それでもNYや日本にくらべれば同じような地域に思えるので、飛行機の窓から覗きたい気持ちと、反面知ることを恐れ、拒む気持ちとで戸惑いました。怖いもの見たさでしょうか、つい窓から下界を見てしまう。黒い岩肌と雪の白、白い線が見えます。“あれが道路か”と思わず溜息が出てしまった。

5月初旬の夕方、ニューヨークからラスベガスに向かいました。西へ向かって飛ぶので、夕日で赤く染まる空に飛行機は長く浮いていました。それでも夜の帳(とばり)がおり、暗く広がる地上に光が灯り、輝きを見せるようになります。

点在する小さな村、光の数が少し多い村、町、外灯が続くハイウエイ。いつしか僕の頭のなかでは、計算にもならない“想像幾何学”が回転しはじめていました。飛行機の飛ぶ高さを頂点とし、光のむらがる村と村を三角で結び、底辺の距離を出そうという魂胆です。およそこの村とあの村のあいだが、1日の走行距離だろうか……。

昼間、上空からは、緑と黄土色が正確なパターンで並ぶ、織物のような畑が見えます。円形のパターンか、あるいは等間隔に織りこまれる帯状に長いパターン。都会に長く住むと、見なれない光景です。人工的ですから、畑であることは誰にでも想像がつくでしょう。

丸く耕された農園を見るたびに、“正方形の四隅がもったいない”と、小さな国の者には貧乏根性が先に立つ。しかし、仕組みはこういうものです。円の中心から200〜300メートル程度のパイプを直線に伸ばし、等間隔にモーター付きの車が配置されている。中心から水を吸い上げ、長いパイプから水が吹き出すと、モーターで車が円を描きながら水をまく。帯状のパターンは幅20メートルでしょうか。これも農機具の幅で、長さも作業の都合に合わせたものでしょう。

ロッキー山脈からモンタナ、ノース・ダコタを流れるミズーリ川沿いは、ノース・ダコタの中央あたりから、かなり低地となり、池や湖の多い平野となります。農地にも適しているのでしょう、黒々とした土は、ほぼすべてが利用されています。自転車は、人工的に改良された道路や畑、そして自然に生きる動植物のあいだを静かに通ります。

逆風の坂道を下向きに自転車をこぎ、たまに頭を持ち上げると目の前の道路に馬が2頭いたり、鹿が7〜8匹、路上に立ち止まって、僕の来るのを見ているときもありました。早朝に出発したある日、アスファルトと草のあいだにガラガラヘビがいました。湿度と温度と日のあたり具合が心地いいのでしょうが、何匹も見つけました。しばらくするともう、太陽が昇り暑いのでしょうか、姿を消してしまった。

乾燥している高地にたくさんいた小さなリスたちが、湿地には少なく、かわって、小鳥、水鳥が多くなってきました。カモでも、いろいろな種類がいるようです。交通事故の犠牲もシカやリスから、小鳥や水鳥です。なかでも、カモの犠牲が多いのには驚きました。

道端の黄色い花がいい香りを発し、今は盛りと咲き誇っているので、つられて花々のなかに入ると、ハチがせっせと働いているではありませんか。僕も道草くわずに、ペダルをこがなきゃ。

このところ、昼食はだいたい、バナナをパンではさんだオリジナル・バナナサンドです。これらを食べる時間は1日のなかでも楽しいひとときです。道路の脇に腰をおろすと、小さな世界とふれあうことができるからです。

アスファルトをつきぬけて芽を出す元気なのもいます。道路の亀裂に芽生えながらも、精一杯生き、一輪の小さな花を咲かせているのに見とれていると、小さな、小さな青いトンボが飛んできました。マイクロ・レンズのついたカメラを向けると、シャイなのかかくれてしまいます。もっと時間をかけて見つめると、土の表面や草の葉にも、小さな生きものがせっせと働いていました。アリもそうです。カナダからメキシコのユカタン半島まで渡る、僕の好きな蝶も見かけるようになりました。黒とダイダイ、白のマナッチという蝶です。これから8月まで、旅仲間としてたびたび出会うことでしょう。

いろいろの動植物が元気に生きているこの草むらを、平気で踏みつけることができなくなってきました。岩も石も、地層も地質も、さまざまな雲も、人間も、見れば見るほど飽きません。

昨夜は3時間にわたる大ストーム。大風、大雨、絶え間ない雷、稲妻は、今まで経験したことのない大陸での自然現象でした。ノース・ダコタのクーパースタウンという古い小さな村でのことですが、大木の並木がたくさん倒されました。大型ブルとダンプが、忙しく通りをかたづけています。