
■6月3日ごろ 情報途絶で第六感が活躍
サウスハンプトン大学のキャンパスは広い。高い建物がなく、丘の上から見下ろす大西洋がキャンパスをよけいに広く見せ、日本から来た学生たちも広大な空間を満喫している。
この大学で僕は、写真のスタジオ、暗室と版画の2つのスタジオ、絵画のスタジオ、留学生の語学プログラム、夏のワークショップの事務所、学部のオフィス、カフェテリア、自分の倉庫兼研究室兼事務所と方々賭けまわっているので、僕をつかまえるのはむずかしい。学生をはじめ、教授、事務員も僕を探すのに苦労するらしい。いちばん悲鳴を上げているのが電話のオペレーター。“今この電話にいたのにもうキャンパスの反対側にいる?! ”のは、いつものこと。日本でも短期間に東京を中心に、関東、京都、大阪、神戸、四国、南は沖縄まで飛びまわるので、友人に連絡すると、“今どこだ、いつまでその場所にいる?”とくる。東京の悪友は、“お前はつかまえにくいから携帯を持たせよう”と言う。
僕は電気関係はまったく苦手である。車の時計も合わせられない。最近のカメラに、とくに手を焼くのには、我ながらあきれてしまう。
アメリカ大陸を横断するというと、
イ)デジタルカメラで映像を毎日送れ。
ロ)e-mailで連絡し合いたいから、ノート型PCを持て。
ハ)ビデオを撮るように。
ニ)携帯電話は、当然持って行くのだろうな。
ホ)少なくともFAXで情況を知らせろ……etc.とくる。
カメラとフィルム、三脚など写真の機材で荷物の半分、自転車の修理道具と部品も重い。そのうえ苦手な近代テクノロジー最先端機器は、よけいに重く感じる。ゴメンだ。
日本、とくに都会では、個人でもこうしたハイテックで情報が絶えず供給されているし、また発信もしている。この原稿が掲載されているNature Netは、最も新しいメディアである。また、最も理想的だとも思う。21世紀を待たずして主流になることも、よく心得ている。
アメリカの電信、電波の事情は、日本とかなり差がある。
サウスハンプトンは、N.Y.市から車で約2時間、一流の避暑地だが、TVといえば、他の州の番組が、雨振りながら映る程度だ。直径3メートルほどの大きなアンテナを庭に備えつけるか、ケーブルテレビでしか、満足にTVを見ることができない。マンハッタンもビル街なので有線なしではどうしようもない。アメリカを旅して、中級かそれ以下の宿泊施設ではTVが満足に映るところは少ない。
今回の旅でも、部屋に電話がないケースが3割がた。FAXを持たないモテルも少なくない。ガソリンスタンドが経営しているコンビニにFAXがあるケースが多い。しかし、どのモテルもコンビニも値段はまちまち、タダから、先日5枚の原稿を流して20ドル也というところもある。係員が、番号で国内か外国かわからない場合も少なくない。こんなときは儲けものだ。
一応携帯電話を持ってきた。当然、山岳地帯は通じないが、今いるモンタナ州の平地でもダメだ。もっといい条件の場が必要なようだ。ただ通じたとしても、アメリカでは発信するほうも受信するほうも、両方とも通話料金を取られる仕組みとなっている。その点、e-mailは便利なようだ。
アメリカは、政府も、企業も、研究機関も、世界最大規模の情報を収集している。しかし庶民のすみずみまでテクノロジーが浸透しているとは、決して言えない。この“上下”の差はすごい。
田舎に住む一般庶民は、テレビのニュースで世界の情勢を知ることで満足し、あとは村々で発行されているタブロイド版のローカル紙で、我が村の出来事を知る程度で、不自由を感じていない。
キャスケード山脈やロッキー山脈に、テレビ塔は1基もない。いや、日本の山々でよく見かけるテレビ塔など、国立公園ではなくても自然のなかに見つけることがないので嬉しい。
アメリカ北部のロッキーを越えてカナダのロッキーに入る予定で、悪天候に負けず、2日もかけて、あと一息というところへ来た。そこではじめて、“雪のために、昨秋から開通していない”ことを知らされた。これでも、誰も文句を言わずに引き返す。
僕は今、天候、体力、栄養、地形、交通と、いろいろな判断に第六感を活躍させて、自然を満喫している。
ウエストグレーシアで泊ったモテルの事務所の大きな建物が、朝、目をさますと火事で全焼していた。僕は知らずに、ぐっすりと眠っていたようだ。
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