
■5月19日 ペースも出はじめ、充実の1日。
朝、ベースキャンプでは車の窓ガラスが凍っている。今日は昨日の終了地点から再出発です。雲間から見えた垂直にそびえる雪山や、道路わきに積もる2.5から3mの雪の壁、雪崩の除雪作業に多忙な3台の大型ブルなどを見たときから、僕の体が火照(ほて)る。
雨つづきで落ちこんだ自分が、“制限時間いっぱい”、大きな手で自らの顔をパーンパーンとはたく力士のように、勇気がわく。
再出発。今日からは新しく手に入れた赤い縁のサングラスが使える。自転車の速度が落ちるにしたがって、沢のたくましい流れの音も小さく、遠のいていく。小鳥たちの数も急に少なくなる。
登っていくにしたがい雲は去り、青空が見えてきた。吐く息もしだいに荒くなる。
わずかだった道路わきの雪もしだいに増し、ガードレールの上に高く積もりだす。頭をもち上げると、目の前に屏風のように折り重なる岩山と雪の白。足を止めて、あわただしくバッグを開けカメラを取り出す。興奮気味の自分に気づき苦笑する。しかしフィルムにおさめたい気持ちは、写真家の習性で、いたしかたない。
ペタルを一踏み一踏み、ようやくカーブを曲がると、別の新しい山が顔をのぞかせる。“うんむ、お前もいい姿をしている。1枚撮ってやるか”。横を見ると“俺様も1枚撮っておくれよ”と語りかける岩山。カメラをバッグにおさめ、ヨイショ、ヨイショとペタルを踏む。
自転車が少し角度を変えると、またまた新しい景色のパノラマが広がる。悪天候が連日つづいたのに、今日は何ということだろう。これぞ日本晴れ。祖国日本で僕を支援して下さっている方々の祈願が、神様や仏様に通じたのだろうか。
もう一つカーブを曲がると、見事な雪の曲線。自然に生まれた抽象形態、再度ハンドルの前のバッグからカメラを取り出す。カメラ出し入れ時の安全ベルトの脱着は楽でない。文句を言いながらふと後方をふりむくと、青空を背にした絶壁の山に太陽の光がするどく刺す。ここも1枚。
自転車の旅なのか、撮影のために来たのか、バッグの開け閉め機能をテストしているのか、いずれにしてもなかなか頂上に向かって進行できない。
雪崩の最も危険な場所を少し過ぎたところで、映画のシーンによく出てくる光景に出会った。
積雪3メートルほどの道路のわきにキャンピングカーを止め、雪の上に折り畳みのベンチを太陽に向けておき、長い足を雪の上に伸ばして座り、読書を楽しんでいる青年の姿だ。金髪で長身な彼は、サングラスもスポーツウェアも、まさに映画のワンカットから抜け出した現実である。好奇心旺盛な僕は近づいて、自転車を雪に立てかけ、挨拶をした。
“気持よさそうですね”。
“あー、アリガトウー。自転車で上り坂は大変だったでしょう”。
“最高の天気になって、疲れどころではありません。ところで、あなたはドライブですか?”
“いやいや、早朝にあの山に登って、スキーで滑ってきたのです。相棒がまだ降りてこないので、一休みしているところです。”
“エッ! あの山!”、彼が指差す山を見て、僕は絶句した。
この映画スターのようなお兄チャンが、勾配80か85度もありそうな直角に近い岩山を登ることすら人間業とは思えないところを、さらにスキーで滑ってきて、ゆうゆうと日向ぼっこをしながら読書とは。僕にとって夢のまた夢のような人間が、目の前に存在している。羨ましいやつだと思いながら、パチリ1枚。
僕の最終目的地がNYだと知った彼は、驚いていた。“なかなかやるな、このオヤジ”とでも思ったのであろう。サングラスをかけた顔をほころばせながら、“グッドラック”と大きな声で見送ってくれた。
たとえ再びこの地を訪れたとしても、二度と同じ光景にはめぐり会えない。一生に一度の空間と時間だから旅は楽しい。
下り坂は早い。上りは時速5kmでペタルを踏んだが、下りはペタルを踏むことなしに50km以上のスピード。爽快なり。
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