2000年7月4日 観音平と信玄棒道 長野県・八ヶ岳より

“棒道”は、戦国時代、甲斐の武田信玄が北信濃攻撃のために、いまの八ケ岳南麓高原に軍用道路として造った古道で、いまは寸断されて部分部分で保存されています。現在の土木工事からみるとそうでもないのですが、当時の最先端技術で、棒のようにまっすぐ作られたことから棒道と呼ばれるようになったようです。


photo
写真は中央高速小渕沢から八ヶ岳方面へ上り、ゴルフ場の上を東西に走る棒道の入り口の1つです。駐車が可能で、有料の八ヶ岳縦断道(八ヶ岳公園道路)ができる前は写真を左右に走る道が八ヶ岳の観音平から入る登山道でしたので、散策にいちばん使われている入り口です。


photo
信玄が、いまの富士見高原あたりで戦うときに指揮をした場所の1つが、この観音平付近だそうです。観音平の手前には、わき水の延命水があり、戦争時の貴重な水分補給の場所だったそうですが、だんだんと湧く場所が上に上がっているようです。ここまでは、かなり前から車で入れ、20年ほど前に宿泊設備もでき、八ヶ岳横断の入り口になっています。夏で木々が茂っていて道はほとんど見えないので、雰囲気がわかるように案内図を撮りました。

photo
梅雨の晴れ間の観音平から望む日本南アルプスです。昔の人々もほとんど同じ山々を見たでしょうが、いまは富士山五合目と同じく、気楽にハイヒールでも来られることを考えると、時世の違ちがいを感じます。