Following the Pass of Polar Bears.


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“HISA。いつ日本へ帰るのだ”と、寒さが厳しくなった朝、ブライアンがたずねた。“あと4日間だね”。そのころには、ハドソン湾も凍結して、白クマはアザラシ狩りに出かけ、チャチルからいなくなる。観光客も去り、観光会社やほとんどのレストラン、ホテルも、来年6月まで閉めてしまう。冬眠だ。町の人口も40〜50%減って、ゴーストタウンのようになるのも時間の問題だ。道を歩く人も見られなくなるだろう。肌を切り裂くような烈風と、凍りついた町だけが後に残される。“長い冬だな!”、ブライアンがつぶやく。
何回行っても別離はつらい。灰色の海、無彩色の世界が連なる、こんな極北でも、底抜けに明るい笑顔がある。人に大切なものが何であるかをも、教えてくれる。すっかり家族のように迎えてくれた宿のアンや、その家族とは別れがたい。出発の朝、朝寝坊が得意な子供たちも早く起きてきた。“今朝は、ずいぶん早く起きたね”。“HISAとお別れの握手するのだ”と10歳のアイザック坊やがいう。“お別れのキッスするのよ”と8歳のマダレーン嬢が抱きついてくる。“HISA、またこいよ”と、いつも空港まで送ってくれるブライアン。
飛び立った飛行機の窓から見るチャチルは、いつも涙で霞む。
会社勤めをしているときは、少しでもよい生活を、少しでも人生を楽しくと、心にむち打ってきた。そうすれば、幸福な生活は自然とついてくる、それが人生のすべてのごとく、信じていた。やせがまんしながら。知らないあいだに、モノ、カネ重視の風潮に流され、ストレスで胃をわずらい、太りすぎ解消にお金をかけて、何が価値なのかを見る眼を失う。心の貧乏物語には限りがなく、しかし今、思い出すと、それも懐かしい。少し自慢できるものもあった。
自分の住んでいた社会では、多くの場合、人の心より数字や時間が大切になる。それが仕事だといえばそれまでだが。利益などよい数字ができても、明日の数字が気にかかり、来週、来月、今期、今年、そして来年はどうなるのかと、心を痛める。
社会人として、親としての責任をある程度終えたとき、とうに忘れていた夢を思い出す。心の奥深くにしまいこんでしまったこと、少年時代にやり残したこと、新たにやりたくなったこと、それは、“私の白クマ物語”だった。
秋になると白クマが歩く町、ここチャチルは、巨大なハドソン湾と、どこを見ても凍りついたツンドラだけだった。どちらを見ても、その先は、空まで続いているからっぽの地。極北は地球の一部でしかないが、私にとっては、あまりにも広大な土地だった。いつも、オロオロ、ドキドキばかりしていだ。そのぶん、この極北の厳しさ、美しさを知った。詳しくなり、思いも強まった。瞼を閉じれば、白くて大きなお尻を波打たせながら逃げる白クマが浮かんでくる。日がたくさん経っただけ、足もとの石や植物、そこに住み、近代文明とのはざまに生きているイヌイットやクリーインディアンなどの生活や文化にも惹かれるようになった。
今年も10月の半ばになったら、青空の下で、運動会の子供たちの歓声を後にして、チャチルへ飛ぶことにしよう。そのころ、ハドソン湾は凍りはじめ、中部カナダで採れた穀物を満載したその年最後の大型貨物船がチャチルを出航するだろう。私は、そこで、極北の達人と、“ブラーイアーン! クマがー、うごーいーてーるぞー”、“HISA! コーヒーにしよう”と言葉を交わし、凍りついた大地を重い靴で踏みしめながら、白クマの写真を撮っているだろう。

(白クマを追いかけて・完)
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