Following the Pass of Polar Bears.


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車に戻るなり、“HISA、コーヒーあるかい?” 私の心臓は、まだドッキン、ドッキンと張り裂けそうに弾んでいるのに、まるですべてを忘れてしまったように、いつもの明るいブライアンに戻っている。チーズをはさんだ食パンはこの騒動でぼろぼろになり、食べると、膝の上はパン屑だらけになってしまう。それでも今は、どんなご馳走にも勝る。魔法瓶に入っているコーヒーはまだ熱く、いつものおやつ時間がはじまる。
“白クマが犬に向かっているのが、見えなかっただろう?”と、ブライアンは、私の痛いところを突く。まだ、彼を紹介されたばかりの頃、彼が最初に言ったのは、“町から出たら Watch me! だよ(俺を、見ていてくれよ!)、I will watch you!(俺は、お前を見ているからな!)、それが掟だよ。俺を視界のまん中に置かなくてもいいんだよ、どこかに置けば。俺は、HISAを視界のどこかに置くからな。そうしたら、2人で360度警戒できる”。
東京では、信号さえ守っていれば、交通事故にも遭わない。自分の時計をしっかり見ていれば、電車や飛行機にも乗り遅れることもない。ここでは、見渡す限りの大自然の中に相手や自分を置いて見渡さないと、いつ何時、死に関わる危険に遭遇するかもしれない。写真を撮るのに夢中になっていた私には、カメラのファインダーからレンズを通して見る世界だけしかなかったのだ。その視界は、驚くほど小さいものだ。ましてや、白クマなど生きものの写真を撮っているときは、他の白クマの動きはまったくといっていいくらい見えない。自分がどこにいるのもわからないといったほうが正しい。いつ現れるかも知れない野生動物も、ファインダーの中だけでは見過ごしてしまう。目まぐるしく変わる極北の天気を、キャッチすることもできない。頭でわかっていることでも、行動をするということの難しさを学ぶ。
お茶の時間、ブライアンの話はいつも野生動物のことか、女の人にモテたという昔話だ。時々、昔と今がまぜこぜになるのが面白い。大地は凍りついているが、風もなく、空は晴れわたり、陽が沈むにはまだ早く、今までの緊張のかけらすら感じさせない。東京からは、2日あればチャチルに来ることができる。しかし、緊張から開放された私にとって、今のチャチルは、たとえようもなくかけ離れた時空間であるように感じられる。まだここでの物語は、はじまったばかりだというのに。
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