title その21
基地の海・沖縄、辺野古の海


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緑の海底草原に棲む道化師、カクレクマノミ。
太陽の日をさんさんと浴び、水の青、葉の緑のなか、鮮やかなオレンジ色はいっそう際だって見えた。


沖縄中南部、辺野古の海に潜ったのは去年の2月であった。普天間基地の返還にともなう、米国海兵隊の代替海上ヘリコプター基地建設の賛否両論が渦巻くなか、キャンプ・シュワブに隣接する辺野古の港は波一つなく凪いでいた。

一般的に、沖縄本島は冬になると季節風である北風が強く吹き、北風を受ける海は荒れていることが多い。だが、南側に面する海岸は北風の影響を受けず、静かな海の日が多いのだ。早速、地元の漁師さんに頼んでキャンプ・シュワブの沖合に連れていってもらった。

キャンプの砂浜から続く浅い海底には、美しい草原が広がっていた。リュウキュウスガモと呼ばれるアマモ科の海草が一面に生い茂る海底は、ちょうど陸上の草原のように緑におおわれ、折から射しこんできた陽の光にキラキラと輝いていたのだ。あまりの美しさに声も出なかった。透明度の高い水が作り出す、ぬけるような青みと海草の生命力溢れる緑が水面に反射し、せめぎ合い、別世界を作り出していた。

そんな別世界の住人を見つけた。海底に生えたイボハタゴイソギンチャクに共生する、鮮やかなオレンジ色のカクレクマノミであった。英名を“Clown(道化師) Fish”と呼ばれる、派手な衣装を身にまとったカクレクマノミは、イソギンチャクの毒に免疫力をもち、逆にその毒に守られて安全に暮らす共生魚なのだ。彼らの幸せそうな暮らしぶりを見ていたら、キャンプ・シュワブから訓練で海に出動してくる水陸両用戦車のことが心配になった。鉄の塊のような水陸両用戦車に踏みつぶされては、跡形も残すことができないであろう彼らの生活は、その美しい周囲とはうらはらに、ロシアン・ルーレットのように運命に翻弄される存在だと思った。

人はその存在を知らず、傷つけたことすらも気づかない。人々の心は海から遠くにあった。浅瀬から沖合に移動すると見事なテーブル珊瑚の群落があった。このあたりにはオキナワの天然記念物に指定されながら、まだその存在すら確認されていないデュゴンも目撃された所である。10数年前、オニヒトデの異常発生で瓦礫の山と化した沖縄のサンゴ礁を見た私としては、人手が入らない海の再生力の強さに感嘆のうめきを洩らす思いであった。

そしてまた、ここも水陸両用戦車が訓練で走り回るところだと、同行の漁師さんに教えられた。たしかにサンゴ礁の縁近くの浅いところには、戦車が走ったキャタピラーの跡が見かけられた。鉄の箱の中、兵士たちは無機質な金属のきしみを聞きながら訓練に励み、箱の外側の美しさに気づくチャンスは少ないのだろう。生き物たちの生態に興味をもち、その暮らしぶりを見つめてきた経験から、どんな生物でも争い事を避けて生きることは不可能である、と思う私である。

国防の重要性や理不尽な力に対して戦う力の必要性を否定はしないが、人は我々と一緒にこの地球に棲み、ときには犠牲になる生物たちの美しさ・優しさを知り、彼らの存在の上に人間生活が成り立っていることを、機会あるたびに身にしみる事が必要だと思った。

最後に、付近のオキナワモズクの養殖を見せてもらった。真っ白な珊瑚砂の海底にオキナワモズクの菌糸を植えこんだ網を広げ、太陽光線を浴びて育ったモズクを水流ポンプで収穫するという単純明快な養殖であった。まだ養殖網のオキナワモズクは育ちはじめで丈も短かったが、ゆっくりと海の養分を吸い取り、きらめく太陽の下で育ち続けていた。その姿は琉球の地がもつゆったりとしたリズムで波に揺れ、私の心を和ませてくれた。


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キャンプ・シュワブの沖合にあるリーフエッジには、素晴らしいテーブル珊瑚の群落が育っていた。
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オキナワモズクの育ち具合を船上から箱めがねで確認する漁師。



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