title その18
伊豆城ヶ崎、アオリイカの粗朶(ソダ)魚礁


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粗朶魚礁に卵を産み付けるアオリイカのメス。


アオリイカは体長40〜50センチにまで成長する中型のイカで、日本では北海道以南の各地の沿岸で見かけられる。ヤリイカのような大群を作らず、20〜30匹ほどのグループで、岸から近い海底の中層でよく見かけられる。肉は柔らかく美味しいため、市場では高値で取り引きされている。

伊豆地方では5月中旬から10月初旬まで、海底に房状の卵を産み付ける彼らの姿を見ることができる。ただ単に平坦な海底に卵を産み付けるのではなく、海藻や他の付着生物などの突起物に卵を産み付けることが多い。産み付けた卵が波に揺られ、まんべんなく海水に触れ、海底のゴミや砂にまみれて窒息してしまわないようにとの配慮らしい。

今から12〜13年前、伊豆の海底で水中撮影をしていた時、初めてアオリイカの産卵行動を見かけることができた。海底に落ちていた鉄製のカゴに彼らが卵を産み付けはじめていたのだ。彼らの繁殖行動は、産卵床から少しはなれた所でオスがメスの外套膜の中に生殖腕を差し入れ、先端部分に付いている精子の入ったカプセルを手渡し、メスは産卵時に体内から出てくる卵にそれらの精子を受精させ、房状の卵を産み付けるというものだ。

我々が近づくと警戒して遠くに離れていたアオリイカたちだが、この鉄製のカゴが気に入ったらしく、しばらくすると我々のすぐ側まで戻ってきた。卵を産み付けるという本能につき動かされて行動する勇敢なメスたちと、彼女の産卵をエスコートし、次の交接を有利に進めようという下心一杯のオスたち。求愛やオス同士の喧嘩といった“恋の駆け引き”が目前で繰り広げられ、彼らの豊かな表情と美しさに魅入られた。

その映像はテレビ番組で紹介され、身近な食物となっている生物の、珍しい生態と豊かな表情が話題を呼んだ。それから数年して、伊豆城ヶ崎の小さな漁港、富戸の漁師さんたちが、付近の林から切り出してきた木の枝を束ねた“粗朶(ソダ)魚礁”を付近の海底に沈めはじめた。アオリイカが産卵するための立体物として沈められたこの“粗朶魚礁”は想像以上の効果を上げ、付近のアオリイカが次々と卵を産み付けた。

彼らは海底の限られた立体物に卵を産み付けていたが、“粗朶魚礁”の投入で産卵場所が急激に増え、大喜び状態になったのだ。いちばん喜んだのはアオリイカであったが、次に喜んだのはダイバーであった。今まで映像でしか見ることのできなかったアオリイカの産卵を我が目で見れると聞き、たくさんのダイバーが富戸港に詰めかけたのだ。

以後、小さな漁村は、海の生き物の生態観察ができる日本有数のダイビングスポットとして有名になった。最初は、定置網に入るアオリイカを少しでも増やそうとする気持ちから始まった漁師の試みは、多くの人々に、今まで食べる存在でしかなかったアオリイカの知られざる生態を紹介し、その生き物としての魅力を伝える結果となった。

大袈裟な言い方をすれば、地球に生まれた同じ生き物として、アオリイカと人間の間にあった一方的な関係に新しい視点を与えたとも言えるだろう。photo人は腹を満たすために他の生物を食べてきたが、彼らの生き様を見て、生物本来が持つべき“自然観”を感じ取り、自分の“自然観”を正すことも大切なことだと思うようになった。
伊豆城ヶ崎にある富戸港は、海の生き物の生態観察ができる
日本有数のダイビングスポットだ。



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